近況を書いてからすぐに、変化があった。
25日の午前4時に、病院に駆けつけたけど、もう義父の息はなかった。
突然のことだった。
見舞いに行って、手を握ったばかりだった。
なんとなく、なんとなくその時、義父はもう長くないんじゃないか、って思った。
ぼんやりとそんな気がしただけ。
だから、いつもより大きな声で話しかけたり、手をぎゅっと握っていたりした。
けど、私はそのなんとなくの予感を、誰にも話さず、普通に家に帰って、普通に夕飯を作り、普通に眠りについた。
まさかその夜にこんな変化があるなんて、思いもよらなかったから。
冷たくなった義父の姿を見たとき、そんなことが思い出され、涙があふれた。
旦那は落ち着いていて、義母に電話をし、迎えに行った。
私はその間に、看護師さんと一緒に、義父の体を拭いた。
丁寧に拭いて、浴衣を着せ、顔に薄くお化粧をしてもらい、義父の自宅に連れて帰った。
入院したてのころ、「帰りたい」とよく言っていた自宅へ。
翌日は友引だったので、一日置いての通夜、葬儀となった。
親戚が集まり、賑やかになった。
小さな子供も来ていたので、あちこちで笑いがこぼれ、皆が悲しみに暮れる、という感じではなかった。
義父が85歳という高齢で、認知症で長く病院で介護していただいてたこともあり、もう充分に生きたかな、という気持ちが、皆にあったのだと思う。
通夜や葬儀の最中も、場面場面で涙が出たけど、ずっと悲しくて沈んでいるという感じではなかった。
ただ、あんなに義父の悪口ばかり言っていた義母が、義父の横で悲しそうにしている姿を見たとき、とても辛い気持ちになった。
しばらく経ってから淋しさって湧いてくるものだから、いつも気にかけて覗いてあげなきゃいけないなぁ。。
義父は若い頃は、陸上で国体まで行ったスポーツマンだったらしい。
手品も得意だったらしい。
でも私が知ってる義父は、あんまり喋る人ではなく、いつも家でTVを観て座っていた。
孫たちとも、そんなに関わることはなかった。
棺に入れる色紙に、一言ずつ書くように言われたので、私はこんな風に書いた。
「あんまり関われなかった分、入院中にたくさん触れ合えた気がしています。これからは天国で私たちを見ていてくださいね。」
納棺の儀式は、初めて見るものだった。
まるで映画「おくりびと」のようだった。
自宅にお風呂のセットのようなものが運び込まれたときはびっくりした。
シャワーで丁寧に、義父の頭や顔は洗われた。
シャンプーにリンスまでして、いい香りが漂っていた。
手足も綺麗に洗われ、爪も切ってもらって、義父の肌は生きていたときより、ツヤツヤに輝いていた。
口の中に少し綿を入れ、口元もふっくらとして幸せそうな顔になった。
私はその様子を、初めて見て感動してしまった。
死んでいるのに、悲しいはずなのに、義父がとても幸せそうに見えて、私まで幸せな気持ちになった。
いろんな仕事があるものだな、と思う。
義父は高齢だったけど、もしも亡くなったのが子供や若い人だったら、どうだっただろう。
不慮の事故や、殺人や、あるいは自殺だったら?
もしかしたらこんな儀式は行われないかもしれないし、してもとても辛いものかもしれない。
私はこの様子を見れて、幸せな気持ちになれて、よかったと思った。
よくしていただいて、感謝です。
病院の方にも、家で介護できない義父のお世話をしていただいて、ほんとうに感謝。
父のときにも思ったけど、人が一人亡くなることで、いろんな方のあたたかさに気付いたり、感謝の気持ちが生まれたり、家族の絆が強くなったり、そういうことってあるんだな。。
生きているうちに、もっといろいろ気付くといいのだけど。
そんなことだったので、ゆずのライブには行けなかった。
三女だけは、通夜は欠席させてもらって行ってきた。
私の代わりに、次女が付いて行ってくれたので、チケットは無駄にならずに済んだ。
きっとおじいちゃんも、楽しんでる孫の姿を、笑って見てたでしょう。
毎週水曜日に見舞いに行くことが多かったから、今日はもう、行かなくていいんだな、って思ったら、なんだかちょっと淋しい気持ちになった。
けど、実の父親のときと少し想いが違うのは、仕方ないことだなぁと思う。
私はもうすっかり元気で、相変わらず大好きな人の、大好きな音楽に夢中になってる。
今日も、明日も、これからもずっと、楽しんで生きていく。
おまけの写真は、お通夜の日に駐車場で見つけた子猫ちゃん。
みゃーみゃー鳴いてて可愛かったの。連れて帰りたいくらいだったな。。
紫陽花も、だいぶ色づいてきました。